熊本県議会 2045-06-01 06月16日-06号
平成57年 6月 定例会┌──────────────────┐│ 第 六 号(六月十六日) │└──────────────────┘ 昭 和 五十七年 熊本県議会六月定例会会議録 第六号―――――――――――――――――――――――――――昭和五十七年六月十六日(水曜日) ―――――――――――――――――――― 議事日程 第六号 昭和五十七年六月十六日(水曜日)午前十時開議
平成57年 6月 定例会┌──────────────────┐│ 第 六 号(六月十六日) │└──────────────────┘ 昭 和 五十七年 熊本県議会六月定例会会議録 第六号―――――――――――――――――――――――――――昭和五十七年六月十六日(水曜日) ―――――――――――――――――――― 議事日程 第六号 昭和五十七年六月十六日(水曜日)午前十時開議
その後、本格的な地熱の開発は、昭和二十三年に工業技術院が別府市で試錐に成功、これを利用して昭和二十六年には三十キロワットの発電に成功しております。 一方、本県の地熱開発は、昭和二十六年、小国地方を主体に、南阿蘇を含めた阿蘇全域の観測を通産省の指導で実施したのが始まりです。その後、本格的な地熱の開発は昭和四十年から行われました。その間十四本のボーリングに成功しております。
平成57年 6月 定例会┌──────────────────┐│ 第 四 号(六月十四日) │└──────────────────┘ 昭 和 五十七年 熊本県議会六月定例会会議録 第四号―――――――――――――――――――――――――――昭和五十七年六月十四日(月曜日) ―――――――――――――――――――― 議事日程 第四号 昭和五十七年六月十四日(月曜日)午前十時開議
平成57年 6月 定例会┌──────────────────┐│ 第 三 号(六月十二日) │└──────────────────┘ 昭 和 五十七年 熊本県議会六月定例会会議録 第三号―――――――――――――――――――――――――――昭和五十七年六月十二日(土曜日) ―――――――――――――――――――― 議事日程 第三号 昭和五十七年六月十二日(土曜日)午前十時開議
平成57年 6月 定例会┌──────────────────┐│ 第 二 号(六月十一日) │└──────────────────┘ 昭 和 五十七年 熊本県議会六月定例会会議録 第二号―――――――――――――――――――――――――――昭和五十七年六月十一日(金曜日) ―――――――――――――――――――― 議事日程 第二号 昭和五十七年六月十一日(金曜日)午前十時開議
平成57年 6月 定例会┌──────────────────┐│ 第 一 号(六月七日) │└──────────────────┘ 昭 和 五十七年 熊本県議会六月定例会会議録 第一号―――――――――――――――――――――――――――昭和五十七年六月七日(月曜日) ―――――――――――――――――――― 議事日程 第一号 昭和五十七年六月七日(月曜日)午前十時開会
平成57年 6月 定例会┌──────────────────┐│ 第 七 号(六月二十二日) │└──────────────────┘ 昭 和 五十七年 熊本県議会六月定例会会議録 第七号―――――――――――――――――――――――――――昭和五十七年六月二十二日(火曜日) ―――――――――――――――――――― 議事日程 第七号 昭和五十七年六月二十二日(火曜日)午前十時開議
このような状況であるからこそ、本県が昭和59年7月、県議会で議決した神奈川非核兵器県宣言をはじめ、非核・平和施策について、改めて周知を図ることを強く求めます。 次に、部活動の地域移行について申し上げます。 部活動の地域移行における総合型地域スポーツクラブの果たす役割がクローズアップされていますが、受皿となるクラブの実情は、それぞれ異なります。
昭和40年代までは名古屋大学の農学部も近くに立地しており、日本の農業の中枢と言っても過言ではない地域だったと感じている。 今後の未来型の農業を考えていく上では、この地域で高校と大学が連携して高大連携に取り組んでいけるとよい。今の日本の農業で重要なことは、将来農業をやりたい子供や若者がたくさん出てくる教育となるように力を入れていくことである。
45: 【神戸洋美委員】 次に、横井教育委員会事務局長は、昭和60年4月の奉職から38年の長きにわたり教育行政に尽力した。特に、教職員課長、総務課長、事務局長など要職を歴任し、教員の働き方改革、県立学校の再編など、教育行政の推進に精力的に取り組み、また、温厚な人柄で部下からの信頼が大変厚かったと聞いている。
敷地面積五十九万平米、東京ドーム十二個分の広さで、今は昭和の森ゴルフコースがあり、代官山緑地には樹木が生い茂り、レッドリストに載っているオオタカをはじめ、ヤマガラ、ジョウビタキなど野鳥や貴重な動植物も見られます。この場所に、物流倉庫やデータセンターなど十六棟の建物を建て、二十四時間物流センターとして稼働させるという計画に、地域では大きな反対運動が起きています。
これは日本最大級の商店街がもちろん広がっているんですが、古くは文化村といって、多くの作家、青い山脈などの石坂洋次郎さん、陽のあたる坂道という名作がありますが、昭和の初期から、非常に地域の方々が愛し、そして愛されてきた自由が丘、そのまちが今、まち全体が古くなっている。 建物の老朽化、車歩道は非常に未分離であり、なかなか人と車が共生できない。商業施設の活力維持も課題です。
◯小池主税局長 都は、二十三区内において、昭和五十七年一月一日以前から所在する旧耐震基準に基づき建築された住宅を令和六年三月三十一日までに耐震改修した場合に、国の減額制度に上乗せをし、固定資産税及び都市計画税の減免を行っております。
この脊柱側弯症を発見する脊柱、胸郭の検診は、昭和五十四年度から学校保健法で側弯症検診が義務づけられ、学校医による検査が行われておりますが、目視と触診で評価するため、ばらつきがあり、正確で均質なものとはなっていないと言われております。 また、近年、一部自治体では、専用の機器を用いた検査を実施するところもあり、地域差が拡大している状況であります。
なお、昭和40年代、50年代の拡大造林期に比べると、大幅に減少しております。 一方で、60歳未満の占める割合は、ここ10年間で平均48%とほぼ横ばいで、新規就業者の増加により、僅かながらも世代交代が進みつつある状況です。 ◆村上元庸 委員 そのような状況下でも、引き続き間伐をはじめとする森林整備を行っていく必要があると思いますが、今後の森林整備の方向性についてお伺いします。
奈良県産業会館は、もともと地場産業振興センターとして、大和高田市幸町の現在地に昭和60年に開館いたしました。
本県の林業従事者数は、令和2年時点で830人となっており、昭和60年からの35年間で約3割に減少しております。県内における林業への新規就業者数は、毎年50名程度となっており、今後も人口減少、少子高齢化が進むことを踏まえると、生産基盤の維持が困難となることが予想され、林業従事者をいかに確保・育成するかが課題の一つとなっております。
昭和54年から11期44年にわたり県議会議員を務めさせていただき、全国都道府県議会議員約2,700名の最高齢議員になるという幸運を頂戴いたしました。これを機に、パワーあふれるエネルギッシュな若い世代に交代をと考え、今期をもって引退させていただきます。本当に皆さんありがとうございました。(拍手) この本会議場の演壇に登壇するのは、本日が最後となります。
昭和47年の山北町での豪雨による土砂災害では、死者・不明者9名の貴い命が失われています。 また、地震も繰り返し発生しており、ちょうど100年前の相模湾を震源とする関東大震災でも、小田原市、根府川駅で、崩れた土砂に列車ごと海に流されるといった痛ましく、甚大な被害が出たことは周知の事実であります。
昭和57年8月大水害から40年が経過して、計画の見直しを重ねて、牛歩のごとく、少しずつではありますが、河川改修が進んでおりますが、近年の想定外ともとれる降雨により、河川の洪水リスクは年々大きくなるばかりであります。例えば、平成29年10月の台風21号では、昭和57年8月水害の1日降雨量を上回り、県内最下流部の王寺町内大和川水位は、表-1のとおり、計画高水位を大きく上回っていました。